夢 中 毒

(おしりを出しても一等賞には決してなれない。)

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冬がたのしみ。


狩猟の世界はむずかしい。

目的がみんな違くて、殺生して感じることもみんな違くて、周りの目も違う。
わたしが狩猟の話をすると「え、動物ブッ殺すの?!」とか言うヒトがいる。品性に欠けてる上に脳みそや心まで乏しいニンゲンなんだと哀れにおもう。
罪のない動物をブッ殺す意味が分からない。
ブッ殺すには、憎しみや狂喜をかんじる。ブッ殺すって、ニンゲンにしかできないような気がする。猫は鳥をブッ殺さないし、ライオンもシマウマをブッ殺さない。

動物を殺生するとき、不思議だけど、愛しさしかない。
可愛くて可愛くて仕方ない。
だから、一生懸命に視るし、一生懸命に触るし、一生懸命に食べる。

冬がたのしみ。
  1. 2013/05/09(木) 00:02:39|
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うさぎは、雪の上で腹かきをした。


うさぎは、雪の上で腹かきをした。

rabbit (2)

殺生をしたことがないヒトが、この絵をどう感じるのかは今のわたしにはわからない。
だけど、その経験があるひとならきっと、この「鮮明さ」に共感してくれるはずだと、そんな想いで描いた。

表現したかったのは、死んだばかりの動物独特の身体の柔らかさ(硬直してないけど意志がないかんじ)と、内臓の生さと温さ。
胃はパンパンで、大腸には出されるはずだったうんちが並んでて、だけどもうなにも機能してない。
生はないのに、死にいなくて、そもそも内臓出てるし生きてるわけもないくて、むしろ限りなく死に近いのに、力に満ち溢れていて、その不思議な挟間を描きたかった。

うさぎを初めて狩って、解体して、自分の中で「動物は食べておいしいかそうじゃないか」という明確な基準ができた。

鹿も鶏もかわいいけど、生活に身近じゃない分でどこか客観的な冷静さで見れてて、「鹿は狩るもの、うさぎは飼うもの」的な感覚がどこかにあったのかもしれないと今更ながら気付いたりもして。
「鹿はかわいいから食べれないけど、豚と牛は食べるためものじゃん!」と、言ってのける人たちと根本はなにも変わらなかったかもしれないとも考えた。

「どうぶつが解体できるなら、愛猫や愛犬も解体できるの!?」とか胸糞悪い質問をするヒトたちに対して、反論したいけどどこかしきれない自分がいたのも事実で。
うさぎの顔の皮を剝ぎとりながら、血で黒く膨らんだ目の周りをギコギコしたりしながら、「はて、わたしはなにをやってるのだ?」っと、ふっと我に返ったりもして、家で寝てるであろう愛猫の存在を思い出したりもしたんだ、実は。

だけど、「そりゃそうだろ、そりゃ可哀そうにも思って当然だろ。ウチにはかわいい愛犬二匹と愛猫が一匹と、蛇が二匹もいるんだから。そりゃうさぎを撃って解体しといて、なんも思わないはずないだろ!」ってツッコミ入れたりもして、精肉に集中した、なんも考えてない顔して。

うさぎはすごくかわいかった。

散弾銃で撃たれて、もう耳も片方なくて、内臓もほとんど出ちゃってるのに、回収しにいったわたしを見てまだ走って、力尽きあたら「フゥフゥ」って息しながら雪にうづくまっちゃったんだ。
「どうしてこんなことしちゃうんだろう。」って思ったし、毛はふわふわだし、目も耳も全部がかわいくて、自分たちで撃ったくせに「生き返って!」ってお願いしたくもなった。

だけど、食べておいしいから獲るんだ。

「わざわざそんなことしなくても、かわいい命を奪わなくても、スーパーにいくらでもお肉が並んでるじゃない。」って言われたけど、そんなの、それこそ勝手な妄想なんじゃいのかな。
みんながスーパーでいくらでもお肉を買うために、遠い国の遠いヒトが鶏を肉として生産してて、日本の牛が歩けなくなるまで太らされてて、それで「かわいそう」とか「かわいいから」とかキレイごと並べるなっておもう。

豚も牛も鶏もみんなかわいいし、触れ合えば触れ合えるほどみんな愛しくて、だけど、おいしいから食べるんでしょう?
そこに可愛さはいらなくて、むしろ邪魔で、だから育ててまで売るんでしょう?

わたしは、ブラジル産の鶏で親子丼作ることだってあるし、霜降りの牛肉だって美味しくて大好きだし、ラムだって鴨だってかわいいけど美味しくて大好きだけど、そのために、おいしく食べるための努力とか、おいしく調理するための知識・技術習得は惜しみたくない。
おいしくするために太らせるとか、安くするために大量生産するとか、わたしたちが自分たちの私利私欲のために望んで、自分たちの手を汚さずに、目の前にいない誰かに依託してるんだって認めてほしい。

それは、わたしが銃や罠でうさぎや鹿を捕まえて食べることとなにも変わらないし、むしろ、動物との関係は対等じゃないだけ製造ラインにのっかった動物たちのほうがよっぽど理不尽な環境にいるはずだから。
だから、言い訳しないでほしい。
ちゃんと向き合って、ちゃんと大切にしてあげてほしいし、ちゃんと、他人事じゃなくて、わたしたち自身がした選択なんだって理解した上で、あり得ないくらい安い鶏肉や、口に入れた瞬間に溶ける牛肉を選んで、食べてほしい。

誰のせいにもしないで、正当化しないでって、言いたい。

  1. 2013/02/18(月) 21:57:23|
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うさぎ狩り


先週末、新潟の荒谷という村にうさぎ狩りにいった。

IMG_7890_20130219002116.jpg

先に言うと、うさぎは5羽も獲れた。

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猟師さんたちの心配をよそに、わたしは猟師さんに続いて深雪の急斜面を黙ってガシガシ歩いたし、うさぎが獲れてからは、両手に一匹ずつのうさぎを引きずって、猟師さんたちより前をズンズン進んで、新雪をかき分けて山を降りた。

うさぎは思ってた以上に大きくて重かったけど、うさぎ二匹も運べないようじゃ、きっとわたしはこのまま「女の子」を脱することができずに、猪を狩りに雪山の奥深くへなんて連れてってもらえないだろうと思った。
それに、なにより楽しくてうれしくて、パワーがみなぎって溢れ出しそうだった、叫びたいくらいだった。

わたしは、うさぎの舌と心臓が食べたいと繰り返し騒いで、優しい清一さんは、普段はわざわざ取り出すことなんてないらしい小指の先ほどのうさぎの舌を、既に硬直したうさぎの顎から一生懸命に取り出してくれた。

わたしはそれを誰にも気付かれないようにこっそり串に刺して、囲炉裏でそっと炙って、アッサリ食べた。
心臓と脾臓はさすがに独り占めしては申し訳ないと、豪快に串に刺して、堂々と囲炉裏で焼いて、やっぱりアッサリ食べた


猟師さんたちは「そんなに行きたけりゃどこにだって連れてってやるし、そんなに食べたけりゃなんだって食べさせてやるよ」ってう嬉しそうに言ってくれた。
他人を開放しつつも見守って温めてやれるような優しさと強さの源ななんなのか。

わたしには余裕がなくて、誰かがなにかで楽しそうだとすぐに羨ましくなっちゃって、それがしたいとか欲しいとかそういうんじゃなくて、わたしの楽しみはわたしだけのものでいてわたしだけにしか分からないものであってって思ってしまって。

そんな甘ったれなわたしを、温かく迎えて、優しく包んでくれるひとが、新潟にもいる。
それがどんなに幸せで豊かなことか。

  1. 2013/02/18(月) 21:07:59|
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バランス


わたしにとって、働くということは『バランスをとる』ことだ。
わたしは昨年の春、コンビニ業界に就職を決めたけど、実はコンビニが苦手だったし、就職活動と並行して、狩猟の勉強をながら、頭を抱えてた。
「わたしは一体なにを仕事にしたいのだろう。」「どう生きたいのだろう。」って。
狩猟・採集な週末を過ごしていると、必ず遭遇するのが“意識の高いエコラー”で、田舎体験、農業体験、野菜の自家栽培、シェアファームなどなど、「体験」という都合のいい言葉を多用して都心部に住みながら中途半端な田舎暮らしを満喫しようとするヒトたち。そして、なにかにつけて「命の大切さ」「絆」「エコな生活」とかって呼びかけるヒト。
そのヒトたちの考えを否定するわけでは決してないけど、かれらの意見には賛同できなかった。
だって、わたしが狩猟を始めたのは、複雑な流通工程や製造工程に頼りすぎた食生活を、このまま送り続けることに不安を覚えたからと、単に食べるのが好きで好奇心に突き動かされたに他ならないのであって、「贅沢をしないことが正義で、真の豊かさだ!」なんてことは微塵も考えていないから。
ファミチキが無性に食べたくなることもあれば、狩った肉の処理が面倒なことだって多分にある。
実際、知り合いの猟師のおじいさんたちは狩猟中、山の中で獲物を待つ間、コンビニのおにぎりを食べるのが常であって、「身の丈に合った生活をしよう。」なんて複雑なことは誰ひとり考えちゃいなくて。
都心部に住みながら田舎暮らしを愉しむ経済的・精神的余裕と、ズル賢さがあるヒトはいいとして、日々の労働や生活に追われて、食事や余暇を愉しむこともできずにコンビニ食や冷凍食品に頼り切った食生活をしている人々が日本人のどれほどを占めているのか。
ベランダのプランターでラディッシュを育てて農業を経験した気になっている富裕層ネットワークと、1円でも安く1分でも早く食事を済ませようとする貧困層ネットワークとでは、大きな格差があって、そのネットワークが交わることはまずなさそうで。
わたしは欲深い人間で、どちらのネットワークにも片足を突っ込んで、どちらの魅力も言い分も理解できる存在でありたい。
自分で獲った鹿の肉を焼きながら、コンビニのおにぎりを頬張る生活がしたいし、むしろそんな生活こそが、今の日本社会においてより自然で豊かな生活だと信じてる。
わたしが、コンビニを初めて入社する企業に選んだ理由は、日本人に限らず世界中の現代人の多くが利用しているコンビニの魅力と仕組みを知ることは、きっと今の偏ったわたしのバランスを整えてくれると思ったし、「コンビニ」の新たな価値を創造することがもしできたら、日本人の隔離された各ネットワークの掛け橋となりえるかもしれないなぁっていう、本当に単純で、これまた偏った考えなのかも。
  1. 2013/01/27(日) 01:44:59|
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Medousa

Medousa color2

謹んで、新春のお慶びを申し上げます。
旧年中も皆様には大変お世話になり、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
本年はわたしにとって、社会人としての一歩を踏み出す大切な年でもあります。
今のわたしを包み、支えてくださっている皆様のように、わたしも 5年後、10年後、20年後…多角形で情に満ち溢れた大人になれるよう、今を楽しく精一杯に過ごそうと決意しております。
まだまだ未熟なわたしではありますが、本年もご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
皆様にとっても幸多き一年になりますよう心からお祈り申し上げます。

2013年 元日


  1. 2013/01/01(火) 01:27:47|
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一歩


先日、無事に合格通知が届きました!

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わな・網猟 狩猟免許取得です。

ドキドキで封筒を開け、「合格」の文字をふたつ見るやいなや、「ヤッターーーーー!」と喜ぶべるのかと思いきや、意外や意外、なんだか急にズッシリと胸が重くなり、しばらく合格通知を凝視してしまった。


猟友会の方々の協力のもと、檜原村での狩猟見学や講習など、盛りだくさんに勉強させて頂くうちに感じた責任感。
今まで、狩猟免許=「鹿とか猪とか獲って食べれるううう\(^o^)/」だったものが、対象動物を駆除すること、森を守ること、自分を守ること、人々の生活を守ること、そして結果的に動物たちを守ることが、土台としてシッカリとある資格なんだとヒシヒシ感じるようになった。

動物の生死を決める資格、そんな資格をわたしが持つ資格はどこにあるんだろうかと、面白半分・興味本位でふらふらと取得していいはずがないのでは?…と、ピリピリした時期もあった。


だけど、わたしはソウゾウしていたいと思った。

「こわい」「かわいそう」「野蛮」そんな都合のいい言葉に逃げずに、自分がどんなに無知で無力な生き物なのかを、常に想像できる立場でありたい。
そして、無力ながらも、与えられた知恵と知識でめいいっぱい創造できるヒトでありたい。

命を奪うということは、命を頂くということは、精神的にも肉体的にもたくさんのハードルがあって、そう簡単なことじゃないのだけれど、だからこそ、自分やその他の命に対しても愛おしさや畏怖の念が沸いて、分厚く柔らかい人間になれる。
自然や動物たちと同じ目線で共存し、切磋琢磨できる人間になりたい。

だからきっと、結果的にこの資格はわたしの手助けをしてくれるだろうと、そう思えたらめちゃくちゃ素直に喜べた。


猟友会の石崎さんと富山さん、檜原村の大谷さんたち、試験会場の優しいおじさんたち、一緒に受験した方々が本当に優しくしてくださって、わたしの無茶な注文やわがままや好奇心を受け止めてくださって、本当に楽しく幸せな一ヶ月だったナァと、心から感謝です。
ありがとうございました。

免許を持ってるからといって、そう易々と捕まってくれるほど呑気な野生動物はいないので、場数と経験勝負な世界だとは思うんだけども…東京のド真ん中在住というかなり不利な状況ではありますが、自力捕獲目指してチミチミやっていきたいね!




そんでもって、今冬の目標は『イノシシでおいしいベーコンを作る』なのですが…予行練習ということで、中谷さんのご自宅で、ベーコン・ハム作り<初回>です!!

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豚バラ6.5kg 豚ロース7kg をマリネにしてきました!!
再来週に塩抜き・整形を経て…燻して完成させたいと思いまーーーーす!ギガント楽しみ!!!むきゃーーー
  1. 2012/10/14(日) 23:21:54|
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突き刺さる食


お金がないからって食費を削ろうとすると必ず太る。

朝、吟遊詩人ってゆう大好きなパン屋で中沢牧場のヨーグルトとマフィンとベーコンエピを買わず(計600円)に、コンビニで菓子パンとおにぎりと飲むヨーグルトを買う(計350円)。
たったこれだけで朝ごはん以降の欲求不満感が急上昇して、結果的に後者は暴食に繋がるし、身体に悪いものを欲する。

コンビニの商品が体に悪いんじゃなくて、コンビニの商品を食べて、美味しいなぁ幸せだなぁって思えないことが問題なんだとおもう。
安さは問題じゃないのだけれど。

今どき、家で購入する米よりコンビニのおにぎりに使われてる米のほうがおそらくいい米だし、具も海苔も然り。
だけどそれでも手作りのおにぎりに満たされるのは、おにぎりを握るまでの過程がわたし(食べるひと)に一直線だからじゃないのかな。


食事って、突き刺さる愛情だとおもってる。

食べるために踏んだ工程がぜーーーーーんぶ矢印になって食べるひとに向かって、プスプスッって突き刺さるもの。
だからきっと大切なだれかを想ってつくる料理っていつもより楽しいし美味しい。

そんな矢印が、どこに向かっていくのかも分からずに工程だけを踏んでしまっているから、食に無関心で無反応なこんな悲しい日本になってしまったんじゃないのかな。

矢印を見届けず、見守らずに、ブツ切りな製造工程をこなしてしまうから、想像力の欠けた生産者になってしまうんじゃないのかな。
矢印を受け流すうちに、その存在にすら気付けなくなってしまったから、商品を手に取るだけの消費者になってしまうんじゃないのかな。


突き刺さるくらいの鋭利さを見せてよ。

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  1. 2012/06/15(金) 22:35:28|
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