夢 中 毒

(おしりを出しても一等賞には決してなれない。)

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つらつら。


いたるとこで言ってますけど、ここ最近のわたしの涙もろさっていったらないんです。

今まで映画とかドラマなんかじゃ一滴の涙も出なかったこのわたしが‥電車内でミクシーニュース読んだくらいでしくしく泣いちゃって。
それを「歳とって感傷的になったんだね~」の一言では終わらせたくないじゃないですか。

だったら一体、わたしになにが起こったんだ!
どうしたらみんなが「あーー‥なるほどね!」って納得できちゃうような分析ができようか!

‥ってわたしなりにいろいろ考えて、たくさん考えて、将来のこととか今現在のこととか過去のこととか方向性のこととかわたしのダメなところとかわたしの強みとかわたしの家族の素晴らしさとか友人の素晴らしさとか、とにかくいつものようにただただ永遠と考えるんです、いつもいつも常に考えるんです。

それでね、今のわたし(とりあえず“今のところ”ですヨ)はこう考えたんです、興味があったら読んでみてね。



生産性とか生殖性ばかりを重視して、とにかく「向上!前進!成長!」っと躍起になっていたわたしたち(日本人)が、近年、ちょっと頑張ることに疲れはじめたからなのか、ある程度まで登りつめた感があるからなのか「あー、やっとここまできたかーーおれら、よく頑張ったなぁ,ふー」なんて言って、今までを冷静に振り返ってムダの多さとか失敗にちょっと反省したり、ちょっと他のことを考えたりする余裕ができて(‥いや「(余裕を)つくってる」って言った方がいいかな。)ちょっと足踏みしてるかんじがする。
つまりは、ただ上を目指して頑張ることに限界が見えてきてる。

そうすると、能力とか生産性がだんだん飽和状態になって、みんなが「能力」じゃない何かを求め始める‥それがきっと“個性=only one”

分かりやすい(‥そうでもないかも)例で言うと、デジカメ業界とかがホントそんなかんじだと思う.
画質とか軽量化を競い合ううちに、ある程度は当たり前になって、そのうち「そこまで求めてないし、むしろ使いこなせないし!」って言われちゃって、ぜんぜん差別化できない。
だから最近は「見た目がおちゃめ☆」とか「タッチパネルでハイっ!」とか「防水やっぴー!」とか「プロジェクターにもなっちゃうから壁に写して見れちゃうじゃーーーん!」とか“+@”で勝負してる。

小学校でも「個性尊重!」とか薄っぺらいこと言って、SM○Pでさえも「君はオンリーワン!ノットナンバーワン!」みたいなうた歌って、踊って笑って料理作って、大人気になってる。
それがさいきん流行りの“個性すら競争の道具になる世の中”ってやつなんだってサ!

だかなのか、つい10年くらい前までは子どもの習い事って言ったらだいたい(女の子ならピアノ,バレー,習字 男の子なら水泳,サッカー,野球とかって)決まってたのに、最近は子どもの“個性”を伸ばすことに躍起になったお母さま達がゴルフだのバイオリンだのジャズダンスだの、オンリーワンなうちの子に習わせるオンリーワンの習い事でナンバーワンをとらせようと必死になってる矛盾。
そんなんだからきっとさ、小学校のクラスでもみんな違う習い事してんだろうね‥クミちゃんはアイスダンス、マユミちゃんはチェロ、ユカちゃんはくもん‥‥の夏期講習中!

選択肢が増えて世の中が多様化。
みんなと違うことして世の中は個人化。

子どもたちだけじゃなくて、大人もみんなそう。
「30代女性の生き方」「50代男性の生き方」みたいな基準はもうないに等しくて、結婚も仕事も一寸先は闇で、生活レベルもぜんぶがぜんぶ、みんな違ってみんないい @金子みすヾってかんじで、目指してるものも違うんだろうし、1歩踏み出したときに訪れる苦難の種類も周りの環境もけっこーな違いがあって、今までみたいにそー簡単には“共感”できなくなってる。

だからこそみんな不安で、少しでも誰かとの共通点を見つけたくて、賛同してたくて「だよね~」なんてとりあえず言っといたら仲間っぽいかな!って実はみんな必死で、他のひととの相違点を探すくらいならみんなと同じような顔してる方が楽だし、世界に一つの花を咲かせるどころか、そんなたいそうな種を持ってる自信すらなくて、とにかくみんなと同じでいるためには協調性は欠かせなくて、和を乱すなんて自殺行為だゾ!このKY野郎!とかなんだのなんだのって騒ぐんじゃないかなぁ。

だって少しでも同じ状況下にいたほうがお互い理解しやすい。
クミちゃんもマユミちゃんもユカちゃんもみーーーんなくもんで夏期講習受けてたら、口うるさい林先生の悪口言ってケタったり、帰り道にアイス買って寄り道できるもんね。

‥じゃぁ、クミちゃんはアイスダンス辞めて、マユミちゃんもチェロ辞めて、なぜかリーダー核のユカちゃんと一緒にくもんに入会したらいいのか?って言ったらそれは違うと思う。

今(の時代)大切なのは、みんなで同じ花を咲かすことでもないし、血眼になって世界に一つだけの花を咲かすことでもなくて、みんなで好きな花を咲かして「わたしはシダ植物~♪あら、あなたも?種なんていらないわよね!」とか「わたしたちは果実がなるから、毎年ホントに大変だよね!」とか「天気がいい日派?雨が降る日派?俺は断然、雨派!」とかって、周りとの共通点と相違点をもっとズルく見つけていくことだと思う。

つまりは“違う環境のなかからでも共通点を見つけて、ちゃっかり共感し合えること”なんじゃなかろうか、どうだろか。


それでさ、本題だけどさ、わたし、ここ何年かでその能力がぐんっと伸びたように思うんですよ。

大学ではみんながみんな「自己分析」とか「アイデンティティ」とかいって自己満に浸ってるけどさ、そんなの就活のためにやったり探したりしたところでなにが見えるのかが分からない。

アイデンティティなんてものは、自己の存在価値なんてものは、自分ひとりで決められるものでも誰かに決めつけられるものでもなくて、主観レベルと客観レベルの間に位置するもので、だれかに賛同したり、自分ひとりで独走してるだけじゃーなんの発見もできなくて、結局は誰かと共感しあったり反発しあって初めて生まれるものじゃーないですか。

そのためには、自分ひとりで「自分とはなにか」を考えて見つめ直してみることももちろん大切だけど、自分を囲む世界を、世の中に負けないくらい多様化させて、いろんなひとのいろんな一面を見て、どんどん多面的になって、ズルくなって楽しくなって活動的になることもとっっても大切なことなんじゃないだろか。

自分が置かれてる状況とか目指すものとかが誰とも一緒じゃないなんてむしろ当たり前のことで、ミュージシャン志望だろうが教師志望だろうが、就職前の女子大生だろうがリタイヤ直前の中年おやじだろうが、自分の人生を抽象化・原論化することでもっと深いところにある感覚的な共通点が見えてくる。

相手が誰であっても、共有できるものが必ず見つけ出せれば、安心感を与えることができて、時には得られて、心底「ほっ」とできて、そうなって初めて全てのこと・ものに対してリアルな“感謝の念”が生まれて「あーー‥有難いなぁ」ってしみじみできて幸せな気持ちになったり、感極まったりするんじゃないでしょーか。



なーーんて、当たり前にみんなが考えるようなことを永遠と考えるのがすきなわたしで・シタ!

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  1. 2010/07/05(月) 07:11:21|
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