夢 中 毒

(おしりを出しても一等賞には決してなれない。)

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うさぎは、雪の上で腹かきをした。


うさぎは、雪の上で腹かきをした。

rabbit (2)

殺生をしたことがないヒトが、この絵をどう感じるのかは今のわたしにはわからない。
だけど、その経験があるひとならきっと、この「鮮明さ」に共感してくれるはずだと、そんな想いで描いた。

表現したかったのは、死んだばかりの動物独特の身体の柔らかさ(硬直してないけど意志がないかんじ)と、内臓の生さと温さ。
胃はパンパンで、大腸には出されるはずだったうんちが並んでて、だけどもうなにも機能してない。
生はないのに、死にいなくて、そもそも内臓出てるし生きてるわけもないくて、むしろ限りなく死に近いのに、力に満ち溢れていて、その不思議な挟間を描きたかった。

うさぎを初めて狩って、解体して、自分の中で「動物は食べておいしいかそうじゃないか」という明確な基準ができた。

鹿も鶏もかわいいけど、生活に身近じゃない分でどこか客観的な冷静さで見れてて、「鹿は狩るもの、うさぎは飼うもの」的な感覚がどこかにあったのかもしれないと今更ながら気付いたりもして。
「鹿はかわいいから食べれないけど、豚と牛は食べるためものじゃん!」と、言ってのける人たちと根本はなにも変わらなかったかもしれないとも考えた。

「どうぶつが解体できるなら、愛猫や愛犬も解体できるの!?」とか胸糞悪い質問をするヒトたちに対して、反論したいけどどこかしきれない自分がいたのも事実で。
うさぎの顔の皮を剝ぎとりながら、血で黒く膨らんだ目の周りをギコギコしたりしながら、「はて、わたしはなにをやってるのだ?」っと、ふっと我に返ったりもして、家で寝てるであろう愛猫の存在を思い出したりもしたんだ、実は。

だけど、「そりゃそうだろ、そりゃ可哀そうにも思って当然だろ。ウチにはかわいい愛犬二匹と愛猫が一匹と、蛇が二匹もいるんだから。そりゃうさぎを撃って解体しといて、なんも思わないはずないだろ!」ってツッコミ入れたりもして、精肉に集中した、なんも考えてない顔して。

うさぎはすごくかわいかった。

散弾銃で撃たれて、もう耳も片方なくて、内臓もほとんど出ちゃってるのに、回収しにいったわたしを見てまだ走って、力尽きあたら「フゥフゥ」って息しながら雪にうづくまっちゃったんだ。
「どうしてこんなことしちゃうんだろう。」って思ったし、毛はふわふわだし、目も耳も全部がかわいくて、自分たちで撃ったくせに「生き返って!」ってお願いしたくもなった。

だけど、食べておいしいから獲るんだ。

「わざわざそんなことしなくても、かわいい命を奪わなくても、スーパーにいくらでもお肉が並んでるじゃない。」って言われたけど、そんなの、それこそ勝手な妄想なんじゃいのかな。
みんながスーパーでいくらでもお肉を買うために、遠い国の遠いヒトが鶏を肉として生産してて、日本の牛が歩けなくなるまで太らされてて、それで「かわいそう」とか「かわいいから」とかキレイごと並べるなっておもう。

豚も牛も鶏もみんなかわいいし、触れ合えば触れ合えるほどみんな愛しくて、だけど、おいしいから食べるんでしょう?
そこに可愛さはいらなくて、むしろ邪魔で、だから育ててまで売るんでしょう?

わたしは、ブラジル産の鶏で親子丼作ることだってあるし、霜降りの牛肉だって美味しくて大好きだし、ラムだって鴨だってかわいいけど美味しくて大好きだけど、そのために、おいしく食べるための努力とか、おいしく調理するための知識・技術習得は惜しみたくない。
おいしくするために太らせるとか、安くするために大量生産するとか、わたしたちが自分たちの私利私欲のために望んで、自分たちの手を汚さずに、目の前にいない誰かに依託してるんだって認めてほしい。

それは、わたしが銃や罠でうさぎや鹿を捕まえて食べることとなにも変わらないし、むしろ、動物との関係は対等じゃないだけ製造ラインにのっかった動物たちのほうがよっぽど理不尽な環境にいるはずだから。
だから、言い訳しないでほしい。
ちゃんと向き合って、ちゃんと大切にしてあげてほしいし、ちゃんと、他人事じゃなくて、わたしたち自身がした選択なんだって理解した上で、あり得ないくらい安い鶏肉や、口に入れた瞬間に溶ける牛肉を選んで、食べてほしい。

誰のせいにもしないで、正当化しないでって、言いたい。

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  1. 2013/02/18(月) 21:57:23|
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うさぎ狩り


先週末、新潟の荒谷という村にうさぎ狩りにいった。

IMG_7890_20130219002116.jpg

先に言うと、うさぎは5羽も獲れた。

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猟師さんたちの心配をよそに、わたしは猟師さんに続いて深雪の急斜面を黙ってガシガシ歩いたし、うさぎが獲れてからは、両手に一匹ずつのうさぎを引きずって、猟師さんたちより前をズンズン進んで、新雪をかき分けて山を降りた。

うさぎは思ってた以上に大きくて重かったけど、うさぎ二匹も運べないようじゃ、きっとわたしはこのまま「女の子」を脱することができずに、猪を狩りに雪山の奥深くへなんて連れてってもらえないだろうと思った。
それに、なにより楽しくてうれしくて、パワーがみなぎって溢れ出しそうだった、叫びたいくらいだった。

わたしは、うさぎの舌と心臓が食べたいと繰り返し騒いで、優しい清一さんは、普段はわざわざ取り出すことなんてないらしい小指の先ほどのうさぎの舌を、既に硬直したうさぎの顎から一生懸命に取り出してくれた。

わたしはそれを誰にも気付かれないようにこっそり串に刺して、囲炉裏でそっと炙って、アッサリ食べた。
心臓と脾臓はさすがに独り占めしては申し訳ないと、豪快に串に刺して、堂々と囲炉裏で焼いて、やっぱりアッサリ食べた


猟師さんたちは「そんなに行きたけりゃどこにだって連れてってやるし、そんなに食べたけりゃなんだって食べさせてやるよ」ってう嬉しそうに言ってくれた。
他人を開放しつつも見守って温めてやれるような優しさと強さの源ななんなのか。

わたしには余裕がなくて、誰かがなにかで楽しそうだとすぐに羨ましくなっちゃって、それがしたいとか欲しいとかそういうんじゃなくて、わたしの楽しみはわたしだけのものでいてわたしだけにしか分からないものであってって思ってしまって。

そんな甘ったれなわたしを、温かく迎えて、優しく包んでくれるひとが、新潟にもいる。
それがどんなに幸せで豊かなことか。

  1. 2013/02/18(月) 21:07:59|
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