夢 中 毒

(おしりを出しても一等賞には決してなれない。)

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ゆとり


余裕がないって致命的だよね、経済的にも精神的にも。


“余裕”は、やってくるものでも、もともと持ってるものでもなくて‥作ってるか、捨ててるかってことだとおもう。
しかも、すべての余裕は連鎖してて‥ひとつの余裕を捨てちゃうと、気付くとぜんぶない。

今のわたしはムダばっかりで、ぜんぜん余裕がなくて、すべてがうまくいかなくて、いつもぐちゃぐちゃしてて‥笑顔だけは捨てちゃわないようにって思ってても、余裕がない笑顔なんかぜんぜん魅力的じゃなくて。


財力も精神力も、もともとどれだけ持ってるかなんてあんまり関係ない。
そりゃ、少しでも多くあったにこしたことないけど‥捨てちゃえば、もともといくらあっても同じことだから。
どれだけ余裕を貯蓄できるかどうかで決まるんだ。

ここぞというとき、引き出しを開けたらなにかがあるって安心感が、あるかどうかで決まるんだ。

わたしには、安心感も、自信も、決断力も、勇気も、全部ない、なにもない。
あるのは問題意識と危機感だけなんて‥ほんと情けない。


今日、小倉教授と話してて改めて思った。
劣等感で卑屈になって、言い訳するのは簡単だけど‥反骨精神もちながらも冷静に、前進するってすごく難しい。

なにかを捨てなきゃ手に入らないものもあるんだから、勇気ださなきゃ。


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  1. 2010/10/25(月) 19:01:46|
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母なる太陽


“自分とは、立場も生き方もなにもかもが違うひとに、いかに認めてもらえるか”
これって、わたし的にかなり重要で、目標だったりする。


でも、昔はぜんぜん違った。
わたしはわたしだから、誰に認めてもらわなくても別にいいと思ってた。

だけどそれは、わたし自身に、ひとを受け入れる余裕とか素直さが足りなかったからだって気付いて‥
自分自身に、万人を認められる器と幅があって、目的と信念がしっかりした生き方を歩んでいれば、自分を曲げなくても、必然的に他人から認めてもらえるって分かった。


それに、もし苦手なひとが出現しても、いい部分を引き出す努力と忍耐力を身につけられたし‥
たとえ、誰かに苦手意識を持たれちゃっても、謙虚な気持ちを忘れず、真っ向から素直に向き合えば、案外すっきりするものだって学べた。


マツコDXの“自分自身の孤独とちゃんと向き合っていれば、少しぐらい他人におかしなことをされたり、言われたりしても、簡単には傷つかない”って言葉が、奥深くてすき。

自分が安定してさえいれば、気付けばみんな、わたしを大切にしてくれる。


誰とでも仲良くっていうのとは違うけど、色んなひとに「なんか魅力的だな~、もっと話してみたい。」って思ってもらえる女性でいたい。

“お母さん”みたいな存在‥無条件に元気をもらえて、たまに恋しくなるような、太陽みたいなひと。

  1. 2010/10/22(金) 06:50:22|
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となり


こんばんは。


最近、考え込むくせがヒートアップしてか、考えようともしてないのに、得体の知れない深刻そうな問題が頭をぐるぐるするようになりました。

結果、まったく寝つけずじまいで‥今まであんがい無縁だった頭痛・目眩がひどいです。


だから今夜は、久しぶりの長時間入浴で体力を根こそぎ奪ってみようかと‥もう、かれこれ230分も湯船につかってます。

髪パックしながら音楽聴いて、本読んだり、携帯いじりながら入浴してるんですが『パック時間は3~5分が適切です。』って‥えっ、もう浸透度ヤバいやん。



生産性のない話かもしれないけど、読むんなら一緒に考えてください。


みんなは「わたし、お母さん(お父さん)の子でよかったなぁ。」ってしみじみすることってないですか。

「この人がいるからわたしがいるんだなぁ、よかった。」って単純なことだけど、ふっと考えることはないですか。

わたしは、よくあります。


特に、わたしは母方の祖父母と13年も一緒に住んでるので「この人たちがいて 母親がいて、母親がいてわたしがいるのかぁ、うちに生まれてよかったなぁ。」って安心したりします。


もちろん、仲がいいときばっかりじゃないし、モメるときは壮絶です。

でも、女3人であーでもないこーでもないって言い合いながら魚さばいたり、料理したりして、お茶飲んだりおせんべ食べたりしながらくすくす笑って、親戚の話とか仕事の話してるうちに説教になるかんじ‥嫌いじゃないです。

ただ純粋に、愛しい存在だなぁって身にしみて感じるんです。


だけど、となりが温かいと、ほっとする反面たまにすごく怖くなります。

このままじゃいれなくなるときがくるよなぁって不安になるんです。


笑って羊羹を頬張ってた祖父が寝たきりになってからしゃべりもせず、笑わなくもなったみたいに、祖母にもそうゆうときがきて、最愛の母親にもそうゆうときがくるのかなぁって。

ただただ、どうしようもない漠然としすぎる不安でいっぱいになって、眠れなくなります。



そうゆうとき、

ただ、そっと、肩を抱いてくれる、愛すべき存在がほしい。



あ、本音が出てもうた。





普段は、恋人に依存したり、寄りかかって甘えたり一切しないタイプだけど、家族の老いとか死とか、そうゆう愛しいものを失う怖さみたいなものを本能的に感じたとき、黙ってそばにいてくれなくてもいいから、存在そのもので安心させてほしいんです。

あ、ひとりじゃないなって。


新しい家族を築くって、きっとそうゆうことなんだろうなぁって最近、そう思います。

わたしも、自分の子どもや孫に「この人のところに生まれて、この人に育てられてよかった。」って、自分が死んでからでもいいから、心から思ってもらいたいし、そんな家庭が築けたら、どんなに幸せだろう。


そうゆう未来が、ちょっとでもちゃんと見えるひとと一緒にいれたら、イイよね。

なかなかいなんだけど。



あぁ、なんかスッキリした‥ちょっと寝れるかも。

  1. 2010/10/19(火) 02:58:47|
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